2012LIMITカタログ
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007働く女性に寄り添って40年、頼りにされるメーカーをめざして。 リミット株式会社 会長 有木 伸宏 × 社長 有木 宏治 × 企画室長 中根 敏恵 ×企画チーフ 有木 美子販売店さんともエンドユーザーとも双方とのコミュニケーションが大切だと思います。 社長【吉備津神社】リミットの創業の地、福山市新市町にあり一宮(いっきゅう)さんと親しまれている吉備津神社。毎年リミットのカタログ出荷式は吉備津神社の宮司さんに行っていただいている。1960年に地元の備後絣を使ったもんぺ製造を始めてから50年。さらに作業服製造業に転換し、「日本一の女子作業服メーカー」をめざしてから40年営業マンを置かない独自の方法で、カタログとインターネットを通じて常にエンドユーザーである「働く女性」に寄り添ってきたリミット。創業者から次世代へ引き継いだ「女子作業服に込める想い」を語り合いました。会長 最初に私から創業当時の話をしましょう。リミットは営業マンを置かない会社として独自の道を歩んできましたが、最初からそれをめざしたわけじゃあない。私が25歳の時に肺結核になり、家内が生活のために私の介護をしながら絣のもんぺ製造を始めた、それがリミットの原点です。快復してからも決して人並みの体力があるわけではないから、普通は営業マンが重い鞄を携えて汽車に乗って出張するけれど、私にはそれができない。じゃあ、私にできることは何か。そう考えたときに、全国のお客さんに手紙を書いて、営業は郵便配達にお願いしようと。今になれば「時代の先取りをしている」と言われるけれど、与えられた条件の中でできることは何かと考えた結果なんです。 社長 いまでは通信販売は当たり前ですが、当時はそういう発想は珍しかったでしょうね。女性の作業着に特化したということが、リミットにとって一つの分かれ道だったと思います。チーフ 会長が他社に先駆けて女物の作業着にしようと思われたのは、何が理由だったのですか?会長 昔は女性は家にいて、外で働くのは男性。だんだん女性が職場に進出するようになってきたが、最初は男物のジャンパーのボタンだけを左右付け替えて…というものを着せていた。そこへ初めて私たちが、ちゃんとボタンが反対に付いているものをだしたわけです。それから一貫して、「これからは女性の時代、女性の時代」と言い続けてきましたが、販売店さんも営業はすべて男性だったから、分かってもらえるまで30年、40年かかりました。ちょっと早すぎた(笑)。室長 私は小さい頃から洋服を縫うことが大好きで、学校をでてすぐにリミットの前身である伸栄に入社しました。あるときに会長から、「企画をやりなさい」と。デザインもパターンも知らない人間に、「自分が着たい服を自由に創りなさい」と(笑)。それから企画室長として、素材メーカーさんに助けてもらいながら、自分の好きだと思うものをアレンジしながら作ってきました。女性物だったからできたんです。会長 有木 伸宏1970年伸栄被服株式会社設立。1995年リミット株式会社に社名変更後2007年12月まで社長を務める。1930年生まれ。社長 有木 宏治大学卒業後1993年リミット株式会社入社。2008年1月より代表取締役社長に就任し、『リミット通信』を引き継ぐ。1970年生まれ。【創業40周年 特別座談会】「これからは女性の時代だ」と一貫して言い続けてきました。 会長

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